カールの帝国は、843年の( )条約と 870年の( )条約により、 東フランク、西フランク、イタリアの3王家に分かれた。
西フランクでは987年にカロリング家が断絶し、諸侯たちによりパリ伯の ユーグ=カペーが国王に選ばれ、( )を開いた。
しかし、王領はパリ、オルレアンとその周辺にとどまり極めて狭く、 諸侯が多数分立していたため王権は弱体であった。
東フランクでは911年にカロリング家が断絶し、有力な諸侯の ( )による王政に移行した。
イタリアでは875年にカロリング家が断絶すると、小国家の分立が続いた。
私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。
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