ゲルマン人のたてた国の大半は短命に終わる。しかし、ライン川東岸のフランク人は違った。 481年メロヴィング朝を開いた( )によって統一され、 フランク王国は西ヨーロッパ形成の原動力となる。
496年、彼は( )派のキリスト教に改宗することにより ローマ人と良好な関係を築く。 異端の( )派を叩くことを口実に、 ほかのゲルマン諸国家との戦争を正当化した。
6世紀半ば、フランク王国はブルグンド王国などを滅ぼして全ガリアを統一する。 しかし、8世紀になるとメロヴィング朝の権力は衰え、 ( )が実権を握るようになっていた。
私、クロノが運営するポッドキャスト番組「5分deヒストリー」との連動企画です。番組は教科書レベルの基本文(1分)+解説(4分)で構成されています。当ページでは「基本文」を穴埋め問題にしました。理解度の確認テストに利用してください。タップ(クリック)すると回答が表示されます。
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