【インドのホーリー祭】なぜ色粉と色水をかけあう?由来や歴史的背景を解説

このページではインドで行われるホーリー祭について解説します。

ホーリー祭とは?

3月の満月の日前後に2日間、インド全域で行われる春の到来を喜ぶ祭り。期間は固定ではなく移動祝祭日で、2024年は3月24日と25日に開催されました。

1日目:ホーリー

日没からスタート。ホーリカの人形と藁の山が準備され、燃やされる。

2日目:ドゥルヘンディ

「ハッピー・ホーリー」が合言葉で、色粉と色水のかけ合いが行われます。

その光景は、祭りというより戦いに近く日本人の想像を遥かに超える。

ホーリー際の歴史、由来

祭りの名前にあるホーリーとは「ホーリカ」に由来します。ホーリカは悪の王ヒランニャカシプの妹。ヒランニャカシプは不死身の能力を持ち、悪行のやりたいほうだい。

息子のプラフラーダはヒンドゥーの神ビシュヌを信じ、父の行動が許せませんでした。ヒランニャカシプも息子を嫌い、あの手この手で命を奪おうとします。

しかし、ビシュヌ神に守られているプラフラーダに手出しできない。最終手段として、自分の妹を利用した計画を思いつく。ホーリーにプラフラーダを抱かせ、火の中に飛び込ませます。

燃えない衣を着ていたホーリーは、それをプラフラーダにかぶせて助け、自分は焼け死にます。

これに怒ったビシュヌ神はヒランニャカシプを倒します。不死身の能力にも穴があり、その隙間をついたのです。

悪の一族に生まれたホーリーでしたが、自らの命と引き換えにプラフラーダを助けました。感謝の気持ちを伝えるために、収穫した農作物を燃やし、その灰をかけあったのがホーリー祭の始まりとされます。

インドといえばヒンドゥー教

インド人口約13億のうち、ヒンドゥー教徒は約80%、イスラム教徒は約13%を占めます。インド教とも言うべき、圧倒的多数派。(ちなみにインド発祥の仏教は1%程度)

前述のホーリー祭の由来に登場するビシュヌ神は、ヒンドゥー教3大神の1柱で世界維持の神。残りはブラフマーとシヴァ。

今は圧倒的大多数派のヒンドゥー教ですがどのような歴史があるのか?

もともとは「バラモン教」があって、その後「仏教」が広がります。バラモン教の聖典「ヴェーダ」は難解で民衆には分かりにくい。

さらに司祭階級(バラモン)を頂点とする階級制度である「カースト制度」が、ライバルの仏教から格好の的とされます。そこで民衆にも分かりやすいようにしたのがヒンドゥー教であり、現在はシェア8割以上まで成長しました。

ただ、ヒンドゥー教はバラモン教のカースト制度をそのまま継承しました。なので今でも身分差別が大きいのもインドの特長です。そんなインドで開かれるホーリー祭は、色粉と色水をかけあうことで、一種のガス抜き効果を期待している部分もあるように感じます。

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